5月18日 ふるさとセンター

この日は体を使ったじゃんけん、それから「オノマトペ」で動くというのをやった。(日本語はオノマトペが多い言語だそうです)

グー、チョキ、パーを体で表す。ぐうっと、からだを集めて力を込めて固めたり、足をずらしたり、全身でろ~っと伸ばしたりで、たいていの人が子供の時から馴染んでいる、あの「三体」の一つと、察しがつく。

花ちゃんの、顔の変化70~90パーセント?によるぐーちょきぱーは、読み取ろうとするみんなの顔を、軒並み、集中力でぎゅっとしかめたグーに変化させつつ、「あっ、グ―だ」「チョキになってる!」と、大体は同じ結論に導くようで、「顔じゃんけん勝負もいいな、面白いし」と思ったが、いざ、自分が誰かとじゃんけんをするとなると、顔をしかめていると相手が何を出しているか(どんな顔をしているか)よく見えないので、適用としては二人以上人がいる場合のみである。

他の人が口々に発するオノマトペを聞いて一人が動くというワークは、周りから次々に投げられる、へんてこりんな、声と言葉の中間みたいなオノマトペに、踊り手になった人も、戸惑ったような振り回され気味のオカシナ動きになり、一緒になって動き声を出している黒子さんが、ケラケラ(これもオノマトペだ)笑いつつ「ひどい~、みんなひどい~」と楽しそうに息を切らしていたのが印象的だった。

実は、この日、私が一番興味をひかれたのは、「からだをつかってあそぼ」の前に、黒子さん、わっきー、れいちゃんと一緒にYoutubeで見た、京都アバンギルドでの、黒子さんのダンスライブの映像だった。

ここでは詳しく述べないけれど、ダンスそのものはもちろん、れいちゃんの熱の入った感想・批評の語りが面白く、「孤児みたいな体」「新聞を読むときの白い太腿」についての言葉は、れいちゃん本人に文章にしてここに書き込んでもらいたいぐらい。でも、文章と『語り』は違うものだし、れいちゃんの「語り」は、何より本人がその場で声を出して話すのを聞くのが醍醐味なので、生の「ライブトーク」を味わうのが一番。

踊りを言葉で表すこと、そしてそれを聞くことも、踊るのには重要な事だと思う。


…あー、そして、あっという間に、明日は6月のwsです!


by スズキ





2コメント

  • 1000 / 1000

  • わっきー

    2019.06.14 14:13

    @わっきーうーむ。何度かやり直してみましたが、改行がうまく出来ませんでした…
  • わっきー

    2019.06.14 14:12

    わっきーです。 まとめありがとうございます。私も書こうと思っていて、なかなか書けませんでした。 最近、特に昨年あたりから、ワークの流れが非常にカオス的で、自発的に色々なことが形を少しずつ変えながら発生していく感じが面白いなあと思っています。 この回の「からだをつかって〜」は、前半に二人組でからだのどこかを触れた状態で集会所の中を散歩、探検というところから、全体に近い感じが生まれていたように思いますが、後半で、顔でじゃんけんから、からだ全体でじゃんけんに発展して、このじゃんけんが人によってあまりにも違うこともあり、からだをどうしようというよりも、グーッ!チョキッー!パーッ!という声を、みんなが真剣に出してた感じがあって、その発声のエネルギーを聞いてて、何となく、じゃあ、グー、チョキ、パーじゃなくて、別に他の音でもいいんじゃないかな、と思って、何でもいいので声を出そうと提案していたように思います。 それで、一人が発声して、他の人がそれをからだで表すということをやってたら、どんどんそれが、オノマトペ的になり、あるいは、人によっては、すごく文章みたいな言葉を言ったり、全く鳴き声みたいだったり、バラバラになっていく感じは面白かったです。 更に、一人が出した声でみんなが動くと思っていたところが、声を出している人も必死で、声を出すということ、声を浴びるということ両方の動きが生まれていたのかなと思います。 で、それを、改めて振り返ってみると、この日は「わたしのためのカラダの時間」は、ほとんど、何か動いてみようとか、カラダにまつわることは何もやっていないのに、この時、既に、れいちゃんがものすごい勢いで語り出していて、これはいつも思うことですが、れいちゃんの語り出した時のからだの様子は、すごく雄弁で、見入ってしまいます。 もしかすると、この最初のれいちゃんの語りと、語りによって語り出したからだのエネルギーが、後半の声で動くエネルギーに繋がっていったのかもしれないなあとも思います。 その辺、因果関係はどうでもいいのですが、全体の流れとして、カオスなのに、何か不思議な流れがあったようでもあり、面白かったです。 わっきー